「余裕の中に未来はあるか?」
先日テレビで「日本人はもっと余裕を持たせないといけない。とりわけ仕事において給与と同時に休暇、余暇を充実させるべきだ」と評論家が言っていました。理由は「日本は不景気だが、それは余裕の無さから生まれる悪循環から来ている。もっと生活に余裕をもって、精神を豊かにする事からリスタートすべき。そして全てにおいてゆとりのある職場でゆとりを持った仕事を日本人はすべきだ。」ということでした。うーん。一部は理解できます。例えば景気が悪いことを誇大に考えて慌てて何かのビジネスをすべきではないと思うし、またそれが良い結果を生むとは思いません。が、決定的に理解できない、というか賛成できない部分があります。それは「これからの日本人は全てにゆとりをもって」の部分です。日本にとって本当にそれが不景気の原因なんでしょうか? かつて日本には世界に発信できる文化が3つあると言われていました。 「テクノ」「アニメ」そして「ゲーム」です。しかし前者2つとゲームでは違いがあります。「テクノ」はヨーロッパ各国で完成した文化に感化されてから日本でその後付けでムーブメントが発生し独自進化したものですし、「アニメ」も同様にもともとはウォルトディズニーが原点となって日本でも本格的に進化して世界に認められたモノです。しかし世界に通用するとはいえ、オリジナリティーとしての高い評価までは達していません。しかし「ゲーム」は日本がオリジナルの原点的高評価を貰っています。なぜゲームかって?理由は簡単。日本の京都から、つまり任天堂から発信されて育ったからです。 もちろん世界初のゲームは日本ではなく私が知る限りではアメリカです。でもその時のゲームはLEDが付いたり消えたりする程度に毛が生えたモノですから、あくまでホームエンターテイメントとしての“文化”をスタートさせたのは任天堂です。しかし今までゲームが断トツに他国を押さえて日本がリードしてきた理由が、発信源が日本だからと言う訳ではありません。 そこには日本人の緻密さを求める国民性、職人至上主義的な性格、そして何よりその考え方を支える「勤勉さ」が同時に背景として存在するからです。 日本にはそもそも資源がありません。石油が出るわけでも無いし、金が大量に採れるわけでもない。私は日本という国の資源とは「器用さ」と同時に「勤勉さ」なんだと思います。だからこそ、こんな小さな島国で、しかも日本語という奇異でかつ世界的にも限定された、ごく少数の民族しか使わない言語だけを話し、そして資源もほとんどない国が一時的にでも世界に名をはせた経済大国になれたのは、間違いなくこの日本の「勤勉さ」という国民性があったからこそ得たものだと思っています。だから私自身、冒頭の評論家の言葉を全て素直に受け入れることは出来ない。日本の、そして何より日本のゲームビジネスの危機的状況の中で、日本人本来の逞しくも緻密な仕事でこれからも良いゲームを提案していきたいなと改めて感じた次第です。でも確かに余裕は欲しいけどね。でも余裕のためにはやっぱり勤勉に働かないと….あれ?これが悪循環なのかな?とにかくがんばります。ではまた。 |