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/ 名越武芸帖 / 其の二十七 「15年で手に入れたもの」
其の二十七 15年で手に入れたもの
其の二十六 語り合ってる?
其の二十五 新たなギャップ
其の二十四 ゲームの暴力性
其の二十三 ライセンスの普及とゲームのエンターテイメント性の限界
其の二十二 経営と制作のギリギリ
其の二十一 チームで仕事をすること
其の二十 20回目を迎えるにあたって
其の十九 未来のクリエーター達へ
其の十八 テレビゲームとは一体誰のものなのか?
其の十七 CPU戦と対人戦(その2)
其の十六 CPU戦と対人戦(その1)
其の十五 スパイクアウトの思い出
其の十四 そういえば、業務用って…
其の十三 ゲーム制作の才能
其の十二 難しさと面白さ
其の十一 アナログコミュニケーション(伝えましょう・その2)
其の十 ゲーム機の未来
其の九 今の気持ちとこれからの気持ち
其の八 ネットゲーム普及のために
其の七 ゲーム成立の条件
其の六 「良い」という感性について
其の五 インタラクションとキャラクター
其の四 これからのゲーム
其の三 企画より大切なもの
其の二 新しさの意味
其の一 ゲーム成立の条件
其の二十七 「15年で手に入れたもの」
「一人前」になっていると実感した時
温かくなりましたね。春になると色々思い出すことがあります。やはり格別に思い出すことといえば社会人1年生になったときのことですね。山口県の下関から上京し、八王子という微妙な都会で学生生活を過ごし、大田区羽田というこれまた微妙に田舎っぽい街に来たのも今は昔15年前。今年も新入社員が入ってくる時期になりました。皆、新鮮な気持ちなんでしょうね。ちなみにあの頃のフレッシュな気持ちに戻りたいなぁ。なんて言う人もいると思いますが、俺はそう思いません。全く。だってすんごい苦労しましたから。今の時代ではナンセンスかもしれませんが、キーボードなんてパソコンゲームでテンキーくらいしか触ったこと無かったし、用語も作業も全てがチンプンカンプンでしたからね。そこから一つ一つ覚えて行く過程はそりゃもう大変でした。
少し慣れたかと思えば次から次の覚えることができて、覚えたと思えば片っ端から変化して、そこでまた覚え直し。毎日のようにそれを感じていました。だから、自分が成長しているのか?周りが変化していることにがむしゃらに付いていっているだけじゃないのか?実感として非常に不安だらけ。「俺ってノウハウってあるのかな?」「キャリアって何なのかな?」って感じの疑問に追われっぱなしでした。
でもなんとかデザイナーからメインデザイナーを経て、ある日ディレクターに。でもなぜ俺が?という疑問がありました。だってさっきも言ったように、自分に対して能力的に何がたまっているのか?分からないまま毎日を過ごしていたわけですからね。確かに必死だったけど、その資格が自分のどこにあるのかはよく分かっていませんでした。でもチャンス。確かにチャンス。立場が上がるということは、それを生かすべきですよね。で、やってみた。するとどうでしょう?思ったより全然、自然とうまく……行くわけがない。全く行かない。そして更に修業の日々。というか覚えることに追われる日々。で、何とか一本ゲーム完成。その時すでに5年が経過。訳が分からんなぁ。と思い続けるある日、気がつくと「一人前(いちにんまえ)」と言われていました。一人前?はて?何でそういわれたのか?1本ゲームをディレクションしたから?それがたまたまヒットしたから?一人前とは自分で何もかも分かっている人のことを指すのでは?でも現実は未だ覚える日々が続いている。終わりがありそうには見えない。これはいったい何なのだろう?でも考える暇もなくまた別のゲームを作り初める。。。実は未だにこの状態は続いています。では今、自分はどうなのか?一人前でないのか?というと、自画自賛ではないですが一人前だと思います。程度は人との比較ですからレベルの差はあれど、一人前かどうかといえば、それに当てはまる部類だと思います。
ではどこでそう思ったのか?ですが、それは2つ。一つはビジネス含めてゲーム作りの全てのプロセスを知ったという認識があるということ。そして何より大きいのは「全てに予想がつくようになった」ということ。そしてこの2つが同時に感じられた時にそう感じました。分かります?例えばゲームを作る仕事において「○○はどうなりますか?」というと言う問いに対して「きっとこうなる」という答えが出せるようになったということです。もっと具体的にいえば「この企画は面白いゲームになるのか?」「このシーンはこの作り方で思ったようなものになるのか?」「この期間でできるのか?」「どのくらいのお金と人が必要なのか?」等に対して「きっとこのくらい」と言えるということです。同時にその理由、そして問題がある場合には解決策やそのきっかけを伝えることができるようになったということです。でも結果論なので、いつその自信が生まれたのかは定かではありません。でも結局、仕事という以上に商売を理解しなくてはダメですからね。本当の自信を持つためには。デザイナーでは到底、絵作り以上の範囲は答えられないしディレクターでも数字の情報がイマイチ疎い。プロデューサー、そして小さいながらスタジオ運営をやってみて、初めてスタートからゴールまでを見届けることができたからこそ持てた実感だと思います。
でも人によってはそこまで経験せずとも自分の現在の立ち位置以上にモノが見えている人っていると思います。俺の周りにも実際にいます。でもそういう人のことを才能がある人と呼ぶんだろうなぁ。そういう意味では俺は才能は低い。まじめではあると思うけど、一人前かもしれないけど、やはり才能は高いとはクチが裂けても言えませんね。
他人が絡んで才能は開花するものです
でもね、ちょっとした慰めにしか聞こえないかもしれませんが、才能は低いがそれをカバーできる問題意識と根性を持っている。それこそが自分の正体だ。と言い切れることがこの15年間の価値だった気がします。うん。それだけは胸を張って言えます。でもそれを支えてくれたのは出会ったすべての人を大切にしてきたからですよ。これも胸張って言えます。でね、ここは覚えておいて欲しいところ。確実に言えることです。仮にもともと才能が高い人でも、人との出会い、そして人そのものを大切にしない人は、絶対に才能は開花しません。才能とはすべて自分以外の人が絡んで開花するのだと思います。これを読んで「いや、それは違う。自分との戦いだ。」とか「人のためにやるんじゃない。自分のためにやるんだから」という人も多いでしょう。多分、芸術家思考気質の人じゃないかな。うん。気持ちは分かる。でもね、芸術家を志すならば、本来は他人の意見を常に気にするのが一番ですよ。何故かって?そもそも芸術家とは「自分のために作品を作る」人のことを指すように言いますが結局のところ、現在、芸術家と呼ばれる人たちは、その人が本来「自分のため」という目標のもとに作られたはずの作品を「他人」が価値を決めて評価し、その評価した人たちがそれを作った人たちを最終的に「芸術家」と呼んでいるのが現状です。ですから結局自分一人では「芸術活動」はできても「芸術家」は自動的に生まれない。結局、他人が決めること。まぁ中には「己のためだけに制作して生きてきた。人がなんて言おうと関係ない」という方もいらっしゃいますが、だったら勲章もらってニコニコしているのかどうかなぁ。と思うときがあります。結局、他人に「良いね。」と言われるのがうれしいくせに。この意地っ張り屋さん。って感じですね。俺に言わせれば。ちょっと話がソレました。でも、他人を通した自己認識。これはどういう志で望むにせよ、常に大切にして欲しい。それを一番の財産だと感じて欲しいです。俺自身、ゲーム制作の思い出はたくさんありますが、思い出のほとんどはその時のスタッフとのやりとりの記憶です。良いことも悪いことも。そこから残ったやり取りが今までのノウハウであり、私のキャリアの全てです。でも、先程から言っているように、そこには終わりはありません。何故なら「常識は変わる」ということです。制作そのもの一つとっても、昨今は従来と考え方が違います。見せ場の設け方、見せ方、そのための作り方。更には掛かるお金も期間も。常に変化し続けます。だから終わりがない。でも、この変化こそが先端の業界にいる醍醐味であれば、その変化を実感している自分は幸せ者のはずなんですが。。。正直に言うと幸せすぎて苦しいのが本音です。昔、キャリアがあれば仕事はペースアップする。とか言ってた人がいますが、大嘘。キャリアがあればリスク回避はできます。が、結局、新たなハードルが待ちかまえていて、それを越える新しいノウハウを見つけ出さなくてはなりません。そしてそのハードル越えるキャリアが積まれたらまた新たなハードルが。。。「おい!お前は仕事は辛いだけだよって言いたいだけのか!?」と言われそうですね。違いますのであしからず。
では今回のまとめです。以前言ったかもしれませんが、俺は仕事は確かに辛いです。楽しくないときが多い。でも面白いから続けています。俺はクリエーターのモチベーションで最高に健全な状態とは、楽しさを求めるのではなく、仕事自体に面白さを追及をすることだと信じています。これは今までで間違いだと思ったことは一度もありません。でもこれは確かにしんどい。でも悩みつつ、しんどいしんどいと言いつつも、毎日続けてこられたのは、出会いを大切にしてきたからです。改めて感謝したいと思います。自分が15年間夢中で手にいてた宝物。出会った全ての人、全てのモノにありがとう。そしてこれから出会う人たち、よろしくお願いします。ではまた。
思い切って髪をばっさり切っちゃいました
『ゲーム批評』 2004年5月号掲載
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