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名越武芸帖
其の二十 「20回目を迎えるにあたって」  
 さて、私事かもしれませんが今回の原稿でこの連載も20回目を迎えました。最初の原稿の完成は1999年の9月でしたので4年目と言う事ですね。こんなに長く続くなんて本当に当時は想像もしていませんでしたが、稚拙な文章ながら読んで下さっている皆さんの応援と編集部の方々の御助力のお陰で今回を迎えることが出来ました。この場をお借りして改めてお礼を申し上げます。
 では今回はちょっと連載開始の頃から現在を軽く振り返りながら、今後の業界の話をさせていただきたいと思います。1999年といえば当時はノストラダムスは嘘だった!とか、いや真説からすれば….なんて言ってた頃です。業界ではセガのドリームキャスト発売を追って、颯爽とプレイステーション2が登場した年でもありました。かくして3つのハード(PS2、DC、N64)が決戦の火ぶたを切った年でもあります。まぁ皆さんはその結果は良く知っておられるので経過は割愛しますが最終的に「いくぜ100万台!」の掛け声とともにPS2が独走体制へ抜け出し、N64とDCが伸び悩み、セガに至っては家庭用ハード事業からの撤退に至り、入れ替わるようにマイクロソフトの参入とゲームキューブの発売へとつながっていきました…ホントに簡単な振り返りですみません。しかしあの当時は将来への興味が2つありました。
まず「業界の発展」次に「ネットゲームの普及」です。しかし結果は2つとも現時点では今一歩です。でもネットゲームに関してはゲームジャンルとしてコア化させた感がありますが普及しなかったわけではありません。成功事例と言えるタイトルも数本出ましたしPCも含めてユーザーも増え続けています。ただ、一気に行かなかったというだけですね。
そういう意味では今一歩どころかそれ以上の結果が出ているのかもしれません。やはり期待が大きすぎたのか?なかなか判断しづらい所です。
しかし一方で業界の発展に関してはハッキリと結果が出てしまいました。結構な勢いでかげりを見せてきましたからね。もうこの場でも書いたことがあるので詳しくは書きませんが、コスト、マーケティング、技術と、色々な問題が浮き彫りになりました。今や各社とても苦しい。では今後はどうなっていくのでしょうか?
そしてこの4〜5年で何が変り、今後は何が求められ、それに答えるためにどんな発想、モチベーションを持たなければならないんでしょうか?
俺は以前「ゲームとはいったいだれのモノなのか?」という事について書いたとき「ゲームとは皆のものである。そしてそれを証明する回答を夢とプライドをもって作っていきたい」と書きました。では今回はその続きにあたるものになるかと思いますが、少し語ろうと思います。
早速例をあげましょうか。
以前に「大人向けのゲーム」について意見を言ったことがあると思いますが、これ自体も前は単なるジャストアイデアに近かったのですが、現在は個人的に結構まじめに考えているチャレンジ項目の一つになっていたりします。
ちなみに大人向けって言うと、すぐにエロに行きがちですがそういう意味ではありません。
ここでいう“大人”とは、あくまで対象年齢そのもののことです。
まずその前に、大人はゲームをしない。という前提が風潮として未だに存在しますが、それ自体やはり変です。今、「ゲームなんて子供のものだ」と言っている人はきっとゲームを楽しんだことのない人だと思います。マンガなんて幼稚で馬鹿らしい。と言う人にかぎってマンガを楽しんで読んだ事すらない人だったりするのと同じ感じです。そんな人達に自分が好きなものを評価されちゃかないません。ゲーム脳じゃないけど大きなお世話です。
そういう環境をふまえたうえで私の願いの一つに、ゲームをメディアとして世代解放したい。
という事が以前からありました。ゲームに興味がある人には、世代、性別を問わず、可能なかぎり楽しんでもらえるモノとしてゲームが位置づけられるようにしたいということです。映画やテレビ番組やお芝居のように。つまりゲームコンソール自体が、かつてのビデオデッキが通ってきた道のように、コンテンツの側面からもっと沢山のチャレンジをして、マーケットを開拓する努力をしてしかるべきだと思うわけです。
そして真剣にそういう目線で試行錯誤を繰り返せば、そこからきっとゲーム世代をブレイクスルーできる企画も生まれると信じています。
ただ、そういう方向性に狙いを定めてしっかりと作られたゲームが全くと言っていいほど無いのが未だ現実です。そんな今だからこそ試す価値はあると思うんだけどなぁ。
先程も言った“ゲームを楽しんだことの無い人”ならいざ知らず、楽しんだことのある人なら適正なコンテンツに対するアプローチを、きちんとマーケティングの上に達成できれば、もはや限界のように言われているマーケットに対して広がりをも起こしえると考えます。
謎を解く、勝負をする。ドラマを感じる。この快感演出原則こそがゲームの基礎です。そして何よりこういう部分に対して人間は、体は年齢によって枯れても心の中には枯れることなく生き続くものだと考えます。もちろん趣向自体は年齢によって変化するでしょうけど。
でも昔は野球を楽しんでいて、今は野球はしないけどゴルフをしたり、釣りをしたりということに置き換えて楽しむ人の様なんかはまさにそれの証明ではないかと考えるときがあります。ここまでいうと「いや、すでにおっちゃんでもゲームする人は結構居るじゃん」と言いたい人もいると思いますが、私がここで言っている年齢層高めの人たちのマーケットとは根本的に違います。確かに今現在ある程度の年齢の人たちがゲームを楽しむ場合、好んでゴルフや競馬やパチスロのゲームだけを楽しんでいたりします。でもそういう人たちのほとんどが日常生活の原体験がきっかけで、それをゲームになぞらえてプレイをしているだけだったりするので、ゲームそのものの楽しさを知っていてその一環から好きなジャンルを選択して楽しむ人たちとは若干違います。もちろん立派なありがたいマーケットですよ。そして個人的にはこういう人達にも、もっと違うゲームも遊んでもらえるきっかけも作りたいと考えます。面倒くさくなく、興味が高いモノを高いクオリティーで楽しんでもらえる様に提供できるか?そうか?がキーになると思いますが、そのキーの種類はきっと現状のゲームマーケットの形とは若干違ったものになるでしょう。
そしてもしそのマーケットをつかむことが出来たら、更に色んなものが変化すると思います。ひょっとしたらクリエーターの制作スタイルだけでなく、制作寿命も伸びることにつながるかもしれません。
そもそも今回は自分の身近な興味として年齢層に対するチャレンジについて書いていますが、
それ以外でも今は成されてなくとも、前向きな変化を起こすべくチャレンジすべき項目はもっと残っていると思います。それをもっと沢山のクリエーターが個々の様々な角度から、そして何よりあきらめないで考えていって欲しいです。最初から決めつけずに真剣に考えて欲しい。それなくしてはゲームの未来はありえません。
つまり今、“ゲーム”は広い意味で“ゲーム”として改めて開放されることを望まれている本当の時代に入ってきたと思います。そしてそのキーは「マーケットに変化を与える発想の軸」をクリエーター自身がどこに設けるのか?が最も大切になります。
そしてその軸自体が時代にマッチした時こそ、ゲーム業界は本当の意味で新たな幕開けをするのではないでしょうか?そうなってくれることを俺は願ってやみません。でももちろん人任せにするつもりはありません。何度も言いますがまず自分がその軸をどこにすべきなのか?日々真剣に考えています。ただ正直に言うと、そういう仲間がもっと沢山出てきて欲しいですね。
でも俺自身がこういう発想をするようになったのが、この4年で起きた業界の不振の状況がきっかけになっていることはある意味で皮肉な感じもします。が、えてして人間は苦しいときにこそ本当に面白いことを考える動物らしいですからね。苦しい思いをしながらも、面白いものを提供したいと思います。期待していて下さい。ではこれからもよろしく。
『ゲーム批評』 2003年3月号掲載
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