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コラム
/ 名越武芸帖 / 其の二十一 チームで仕事をすること
其の二十七 15年で手に入れたもの
其の二十六 語り合ってる?
其の二十五 新たなギャップ
其の二十四 ゲームの暴力性
其の二十三 ライセンスの普及とゲームのエンターテイメント性の限界
其の二十二 経営と制作のギリギリ
其の二十一 チームで仕事をすること
其の二十 20回目を迎えるにあたって
其の十九 未来のクリエーター達へ
其の十八 テレビゲームとは一体誰のものなのか?
其の十七 CPU戦と対人戦(その2)
其の十六 CPU戦と対人戦(その1)
其の十五 スパイクアウトの思い出
其の十四 そういえば、業務用って…
其の十三 ゲーム制作の才能
其の十二 難しさと面白さ
其の十一 アナログコミュニケーション(伝えましょう・その2)
其の十 ゲーム機の未来
其の九 今の気持ちとこれからの気持ち
其の八 ネットゲーム普及のために
其の七 ゲーム成立の条件
其の六 「良い」という感性について
其の五 インタラクションとキャラクター
其の四 これからのゲーム
其の三 企画より大切なもの
其の二 新しさの意味
其の一 ゲーム成立の条件
其の二十一 「チームで仕事をすること」
お疲れさまです。名越です。
最近ふと思ったのですが、仕事をしていると来るメールの冒頭って「お疲れさまです」が大変多いですね。不思議に思ったことありません?ちなみに冒頭からこれを外してメールを書いてみると確かに文章の出だしとして素っ気ないし寂しい。だから結局、流されて使ってしまうわけですが、やはり便宜的な言葉を使用することから受ける、心がこもってないような何とも言えない違和感を感じます。なのである日から使うのをやめていました。つまりいきなり本題から書いていました。するとある人から「何か怒っておられますか?」と返信時に聞かれてビックリ。それからまた考えた挙句、最終的には「お疲れさまです」を使うことに…..。うーん。難しいなぁ。あと「お疲れさま」といえば仕事の帰り際にも使いますね。でも同じ「お疲れさまです」にしても、こちらの方はメールに比べて意味を感じます。例えば「お疲れさま」の会話時に元気がないと体調面や精神面に不安があるのか心配になるし、どうしても気になる時はその上司に相談したりします。大抵は何でもないことの方が多いのですが、でも仕事のモチベーションが低下していたり、仕事の鬱憤がたまっていることをこの他愛のない会話から発見したりするのであながち侮れません。でもこういうことが発見できるのも、ある意味ではいつも同じメンバーで同じ「お疲れさま」という言葉をかけあっているからこそコンディションによってハッキリと違いを感じるのかも。何だかそう思うと良い習慣のような気がします。メールでは感じませんけどね。でもそう。良い習慣は良い仕事するためには大切ですからね。特にチームで仕事をする上では。でもたまにふと思うのですが、チームで仕事をするってとても大変で、とても素晴らしい事だと思う時があります。なぜなら俺はゲーム屋さんになって色んな経験をして、お金で買えない色んな財産を手に入れさせてもらいましたが、それらはほとんどチームという共同作業のコミュニティーで得たモノだからです。もともと俺自身はゲームは一人で作るモノではないだろうし、何人か、とにかくたくさんの人間で作るだろうと言うことはおぼろげに考えていました。そしてどういう作業が存在するのかについても同じです。そしてその予想はおおよそ間違っていなかった。しかし唯一、どういう「やりとり」があるのか?までは予想はつきませんでした。そしてその「やりとり」こそがチームで学んだことであり俺の財産です。現在、俺自身は社長という立場ですがチームの中での立場は「プロデューサー」です。ただ普通のプロデューサーに比べると若干ゲームの内容に対して多く関わるので「エグゼクティブディレクター」的な部分もあります。そして名前に応じた役割というモノが存在します。でももちろん名前がそうであるから、自分のやることはここまで。となる訳ではありません。場面によっては更に名前に関係ない部分の仕事もしますからね。と、こうやって書くと皆さんはきっと「うん。まぁそういうこともあるだろうな」と普通に思われるでしょう。言ってみればプロデューサーがもう少し違う仕事を兼務するだけですからね。確かにイメージ的には「仕事が多いから大変そうかも」って感じです。でも現実の仕事の中では大変難しいことだったりします。何が難しいかって?それは「役割」が増えると言うことです。役割が増えると言うことは単に仕事量が増えるだけではありません。逆に言えばそうでしか考えられない人は、俺からすれば仕事の出来ない人です。そしてこの「自分の役割を理解する」ということこそがチームで仕事をし、更に成功を収めるための必須条件だと言えます。先ほど言った私の得た財産の一つ。理由を説明しましょう。
ではまず結論から。役割を理解して仕事を成功させるコツは「場面」に応じた「感情」のコントロールをして「結論を選択する」ことに気を配ることです。この3つが順番とともに大事。まずチームにはスタッフそれぞれにミッションが与えられます。またミッションの中でもその権限が人によって階層的に分けられているはずです。そして基本的にはそれらの権限内で自己のミッションを時間内でクリアしていけば仕事は成立するはず。だからそれぞれが自分の範疇内だけで仕事を進める分には何も問題は起きません。でもスタッフは機械ではありませんから、日々の仕事を通じて様々な予定外のことを感じ、当然、それを作品の中に表現したいと思うようになります。しかしこの後の行動が人によって違いが出ます。自分の役割を理解していない人は「場面」を読まず、伝えたい相手との「感情」の距離を測らずに「一定の結論を突きつけるだけ」です。しかし自分の役割を理解している人は「場面」を考え、相手との「感情」の温度差を踏まえた上で「結論を選択」します。でもその差がどうして出てしまうかというと、多分理解していない人は「結論」しか頭にないからです。更に言えば他人そのものが見えていない。もっと言えば「自分と同じように他人も役割を持っている」ことを見失っています。それではうまく進むはずない。どこにでも居ると思います。
「これに決まってんだから、早くこれにしろよ。」だけを唱える人。これが典型的なタイプ。俺の経験上、仕事の出来る人はそこのコントロールが上手い。いかなる場合でも先ほどから言っている3つを順序立てて考慮していく。だから相手との距離を徐々に縮めながら無理なく実現に向けられる。ただ勘違いして欲しくないのが、もし順序通りに考えてダメだったらあきらめるのか?ということではありません。
そういう場合はもっと別の問題が存在すると判断して、その問題を解決して出直すことです。そして仕事の上ではどうしても「結論」から入らざる得ない場合もあるでしょう。急ぐ時とか。でもその場合も順序を入れ替えたとしても3つの同時性を考慮して話し合いに望めばトラブルを起こさずに実現できるようになります。ちなみに我々は開発ですが、営業でも「役割を理解」は大切です。簡単な例があります。
あるセールスマンが接待の席で相手先の話の中で「間違いだ」と感じたことをストレートに指摘して相手を怒らせて取引をパーにしてしまったとしましょう。でも接待とは、する側としてはあくまで自分は下な訳です。その関係を「自分の役割」と理解した上で仕事をスムーズに導くことが全てです。彼の指摘は正論だったかもしれません。でもその時点で「接待」は不成立です。つまり自分の役割を理解していない。彼としては相手の間違いをただ単に我慢できなかったかもしれないし、指摘することが「良い」ことだと信念を持って言ったのかもしれません。しかし俺から言わせれば、いずれの感情にせよ一瞬でも自分の役割を忘れてコントロールを失って「余計な事をして出しゃばった」ことには変わりない。つまり「自分の役割を理解していない」人とは、ある意味で出しゃばる人のことです。でも注意したいのが「予定外の、または自分のミッション以外の意見を言う」=「出しゃばる」とすぐに結びつけたがる人もいますが、それは間違いです。それは人を機械にしか思っていないのと同じ。むしろ意見が出ることこそが最も大切です。多くの人が一つになっている“チーム”であることの最高のメリットは“意見がたくさん出る土壌がある”ことです。でもその価値を大切に考え、作品の魅力につなげたいと考えるのなら、権限の強い人からの指示だけでモノを作るのではなく、同時にそれを実現する術を「自分の役割を理解する」ことからスタートさせ「他人の役割とマッチさせる」ことにつなげるように一人一人が気を配ることです。そしてたどり着いた「結論」に優劣が付けがたい場合にのみ権限の高い人のジャッジを仰げばいい。だから「自分の役割を理解する」というのは立場をわきまえて意見を言わないことではなくて、状況を理解した上で意見を現実に向けられるようにする姿勢のことです。先程「役割が増える事が大変」と言いましたが、役割が増えるということはこの気配りの意識が更に複雑化することを指すわけです。だから面倒。しかしそれに徹することが俺のチーム運営の究極でもあり、仕事のための「良い習慣」につながるのだと信じています。意見が今ひとつ上手く伝えられないと思っている人がいたら、今日からちょっと先程の3つを意識してみて下さい。収穫はあると思います。ではまた。
『ゲーム批評』 2003年5月号掲載
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