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名越武芸帖
其の二十二 「経営と制作のギリギリ」  
 こんにちは。これを書いているのがゴールデンウィーク真っただ中。ここんとこ毎年連休取り消しは恒例です。学生時代の友達から「GW何してんの?」と聞かれ『仕事だよ』「えっ?GWも仕事?社長なのに?」『おまえ正月も同じこと言ったよ』みたいな会話を交わす度に切なくなったりもしますが、スタッフも頑張っていることだし私もできるだけのことはしたいと思います。でも俺も経営と制作の二足の草鞋を履いてるので、時期によっては余裕の無さもピークになります。例えば3月や4月にゲームをマスターアップする時は半端じゃありません。マスターアップのための作業も大変、3月は決算もある、給与や処遇の見直しもしなくてはならないし来期の計画も立てなければならない。4月は新卒も入るので受け入れの準備もあるし、ましてや次の月はE3ショーもあるのでその準備も…..なんていう感じです。
 ですから同時にストレスも殺人的に…..と言う訳ではありません。それ程でもなかったりします。
 確かに量的負担は多くなりますが、逆に経営者の立場の都合と作り手の立場と都合の間で生まれる妙なストレスは少ない。ちなみに普通はこの両者(経営と制作)は別の人が仕切っています。そしてその両者の意識の整合性はなかなかとれないもので、結果、ものすごいストレスを互いに生み出すことになります。でもこの両者の優先順位というか整合性で悩んでいる人は本当に多い。では今回はこのテの問題について俺の思う事をお話します。
 人によってはこの両者の立場について、永遠のテーマのように言う人もいます。
 が、実際は結論はひとつのはず。そう。両方大事に決まってます。でもそういう結論が前提であれば、お互いがそれぞれの立場をリスペクトすることもできそうなものですが、それに反してなかなかコンセンサスがとれないのには何か理由がありそうです。
 何でしょう?
 思うに何かの情報の共有がなされていないからだと思います。その代表的なものが「会社的都合」の情報です。俗に昔から言われる会社を構成する3大要素というモノがあります。人と物とお金です。
 これらの掛け合わせ(事実上は足し算)によって仕事の結果は出るという考え方です。そして最も状態が良いとされるのは「少人数」「小規模(省スペース・少機材)」「低予算」で、大きな成果を出そうというモノ。当たり前ですね。逆に悪だと言われるのは「多人数」「大規模」「高予算」で結果が悪いというモノ。これも当たり前。でもこの考え方、そのままではちょっとおかしい。なぜなら時間の要素が入っていない。実際に人と物とお金の足し算で投資そのものの雛形は提示できますが、最後に時間の係数を掛けなければ最終的な投資の予想にはなりません。人、物、お金がそれぞれ1つずつで合計が3で係数が1なら3です。でも2+2+2でも時間が半分で係数が0.5なら結果は3ですから、リスク的には変らないということになります。更に人でも機材でも倍の量を突っ込んだら半分の時間で完成するという人がたまにいますが、実際はロスが様々な形で生まれるので単純に半分にはなりません。むしろロスどころかトラブルさえ生まれて、本来の人数で行ったほうが早かった。なんてことだってありえます。なので投資のサイズに見合った実績のあるディレクターを適宜アサインすることや、それを実現させるシステム運用等が必要になります。本来はそれも係数化してかけ算すべき。なので最終的には(人+物+お金)×時間×キャリアで計算すべきです。その他にも職場なりの事情や都合によってそれ以外の係数を必要とするかもしれません。
 と、まぁ長々書きましたが、この公式が経営者的立場の事情、つまり「会社的都合」の概要です。でもこの情報は基本的に経営マターだということで、その仕組みや数字については作り手に触れさせないという考え方をする人は非常に多い。でもそう考える一番の理由は「作り手に対して数値的なアプローチ(商売)を先に語ってしまうと、それを必要以上に意識してしまうことでクリエイティビティーに支障が出ないか?例えば小さくまとまってしまって、思い切った発想ができなくなるのではないか?そうであればあまり触れさせたくない」という懸念(気持ち)から生まれてくるようです。
 でも同時に経営の本音(現実)としては「ベストは出してほしいが、なんとか予算計画内で」という気持ちもあるわけで、それらの気持ちと現実をまとめて言い方を変えれば「予算目標は決まっている。でもそれを意識しすぎずにギリギリまで目一杯頑張って欲しい」という感じでしょう。うーん。であれば、それを言っちゃえばいいのに。というのが俺の考えです。
 確かにそれを聞いたところで実際どうやって行動に結びつけるかは難しいし、皆がすぐに理解できるとは思いません。でも商品をつくるという商売をしている以上、必要な情報には違いないのであればむしろ伝える義務さえあるかもしれません。であればお金の意識も制作の一部であるとしてアプローチしてみるべき。でもこう言っちゃうと「じゃぁお前は作り手が商売を意識しすぎて良いものが出来ると思うのか?」と言われそうですね。でもそもそもその部分に作品の善し悪しは関係ない。予算を最初に言おうが言うまいが、お金そのものを伝えるのか?
どうか?に問題があるのではなくて、お金にせよ技術にせよその「ギリギリ」というところをお互いがどう伝えて、どう理解するのか?の方がよほど問題です。最初の予算が1億であれ10億であれ、一番肝心なのはそのボーダー近くが見えてきた時、諦める?粘るのか?それに対して期待値はあるのか?ないのか?そのリスクはどの程度のものなのか?を判断するときが一番ハードですから。ではそのギリギリをどうやってコンセンサスとるのか?それは….ちょっと卑怯かもしれませんが、回答は一つではありません。なぜなら会社の状況によって事情が違うからです。でも基本的な方法があるとすれば、俺はこう考えます。まず両者の本音を共有して仕事をスタートし、最終的にはシビレながらも経営者がギリギリでも歯を食い縛ってこらえて作り手に気を配って完成に持ち込ませるように努め、また同時に作り手も経営者がシビレていながらも堪える様に対してリスペクトとすることを制作内容で返すということに尽きるでしょう。でも繰り返しますが、それはあくまで最初に「作り手=経営の事情は理解できない」と言う考え方を捨てて本音の共有からスタートしたからこそ、この方法に可能性があるわけです。
 しかし、ただ単に後々モメたくないから予算のことを先に言っておく。という考えでしかない人も多い。「お前、いくらかかってると思ってんだ!」なんていう人。まぁ確かに予算内でガッチリ作ることを最初から義務づけるものアリだと思いますが、きっと良いものはできないのは目に見えています。だって計画の立てられる範囲内で作られるモノって事は、既に出来ると分かっていることの集合体でしかあり得ません。ということは、少なくとも新規性は望めないということです。それは作る意味を感じません。だからギリギリを共有しながらやるしかないんですよ。最終的には。
 でもギリギリを前提に仕事を進める中で、情報の共有やそのやり方以上に、もっと大切な事があります。それは先程の投資の要素について、その「配置」がきちんと「人が中心」になっているか?ってことです。物やお金等の存在が、全ては人を支えるために組み立てられているか?と言う事です。逆にそうなっていなければ絶対にうまくいきません。私も今までにゲーム業界に限らずいくつも会社を見てきましたが、この感覚を感じさせる会社は素直に「良い会社だなぁ」と感じます。逆にスケールが大きくてもそれらを全く感じさせず、どこまで聞いても「物」と「お金」ばかりしか見えてこない会社には魅力やパワーはちっとも感じません。それは「人」の可能性を大事にしていないように思うから。だって「物」や「お金」には、その価値以上のことはできません。100円で100円以上のものは手に入れられませんが、自分のスタッフの手に入れるものの可能性は無限だと考えます。結局「人」ですよ。
 経営にせよ制作にせよギリギリに追い込まれた時、それを越えることの出来る唯一の手段はお金でも物でもなく「人」しかありません。これが私の信条です。ではまた。
『ゲーム批評』 2003年7月号掲載
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