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名越武芸帖
其の二十三 「ライセンスの普及とゲームのエンターテイメント性の限界」

なぜ、ライセンスものが支持されるのか?

 先日E3に行ってきました。もちろんこの読者の方でもご存知の方も多いと思うのですが、記憶に残った印象が2つありました。日本パブリッシャーの元気の無さと、ゲームジャンルの偏りというか画一化です。中でもジャンルの偏りが本当に顕著でした。コンソール機の場合、ジャンルで言うと「ライセンススポーツ・ライセンスドライブ」「ステルスアクション・ミリタリー」「映画・コミックライセンス」が出展タイトル全体の8割以上を占めていました。しかも続編がほとんど。なのでどこを見ても驚きや新鮮味が薄く、どれもが同じ印象です。更にライセンス物の傾向が極端に強い。前述のスポーツ、映画はもちろんですが「ステルスアクション・ミリタリー」にしても原作をトム・クランシー等の著名な脚本家が書いていたり、ミリタリーも“NAVY”“AIR-FORCE”のキーワードが前面に出ている様子はさながらライセンスもの商品の印象です。誰かが言いました。「何だかゲームショーって感じがしないな」うん。言いたいことは分かる。
 でも今のこれが現実であり、同時にこれから先の一つの指標なんですよ。以前この紙面でも言わせていただきましたが商売の中で、特にメディア系(この場合実体が無くイメージを商材とするという意味)の商売はその産業的認知が上がると次に求められるものは、より高いアイデンティティーとなります。つまり、消費者にその商品自体を語るうえで、その商品をより手に取ってみたくなるようなイメージ的な仕掛けを求められるようになるという意味です。これはもう宿命みたいなものです。
 例えば映画。映画の最初は記録映画からスタートしています。しかし時が経つに連れ徐々に映像の文法が工夫されるようになると、単なる動く写真という位置づけからもう一つ上の媒体として成長が始まり、何かをそこで語るようになっていき、演劇的アプローチを絡めた結果、娯楽の一つとして完成したわけです。そして様々なジャンルが生まれていきます。
 また同時に一つの現象が起こります。それはその映画を語るうえで、制作者と出演者に興味が求められるようになったことです。撮影、演技においてその技法が高まれば「それを誰が、どうやってやったのか?」に興味が出るのは当然であり、またその次への期待値を感じさせる宣伝効果としてもそれは自然な流れでした。
 ゲームにも同じ流れが言えます。若干違うのはスタート時点で娯楽目的であったことくらいかな。後は大体同じ。つまりジャンルが一通り埋め尽くされた感を市場が感じてくる後に、その商品性を訴えるフックを皆がライセンスを中心にしたアイデンティティーに求めてきたということです。逆に今、無名メーカーの無名クリエーターが新規タイトルでノンライセンスの商品を作るということは、出演者が全く無名で、監督も脚本もプロデューサーも、とにかく全てのキャストが全く無名。という映画を制作するのと同じということです。で、それをみんな見に行きますか?と言う問いに対してはNOですよね。まぁ確かに中身が非常におもしろければ、メインストリーム系のカルチャーがあまり好きではない人たちの支持から、多少の動員はあるかもしれませんが、大ヒットは難しそうです。
 でも「映画」というもの自体が目新しくて興味が高い時代では、特にキャスティングなんて気にしなかったはずですよね?きっと。ゲームも「ゲームで遊ぶこと自体が物珍しいとき」は同じだったはずです。でも映画にせよゲームにせよ数を重ね、お金を積み、表現が高まってそれを期待する市場ができ上がったときから、その部分は大きく変化したわけです。しかし同時にその弊害も一時的に生まれました。いわゆる名前(ネーミングバリュー)に頼りきった商品が乱発されたことです。市場の拡大を求めて生産性を最重視するようになると、どうしても中身が疎かになってくるツケみたいなものです。
 そして映画、ゲーム、それぞれで言えば特に俳優、ライセンスの類いにおいて「誰々が出演」「何々が公認」とかいう部分をコンテンツ的に大きく謳ったものに外れが多くなると、市場では逆にそういう部分に魅力を感じなくなるどころか、むしろ歓迎しなくなる人も多く出てきます。しかしそういう時代を経て、現在では「市場に対して分かりやすい後ろ盾がありながら、中身もしっかり作る」ことが定着しつつあり、市場もそれを徐々に理解してきたことで安心してそのフックを商品価値として捉えています。だからそういうものは買われやすい。結果、売れる。

ゲームのジャンルは限界なのか?
 ちょっと話題がそれますが、そもそも何で分かりやすいアイデンティティーがないといけないんでしょうか?
 俺はこう考えます。例えばお腹が減ったとき「あー食ったことの無いもの食いてぇなぁ」とはなかなか考えません。普通は「ラーメン食べたいなぁ。それもコッテリ系。ネギもドッサリのっかってて…..」なんて感じで考えるはずです。で、それこそがマーケティングアイデンティティーなのです。つまり無意識に真っ先に思いつくもの。ちょっとこじつけっぽいですが、ラーメンやそば、カレーライス、寿司、丼物等の代表的料理カテゴリーはゲームで言うところの売れ筋のアクションやシューティング、RPG、レースなんかに当たるんだと思います。思いつきやすく、目に付きやすく、安心感があり手を出しやすいと言う意味で。
 ということは「カレーそば」はアクションRPGだったりして……冗談です。でも市場には最大公約数として高い優先順位で頭に浮かべられるアイテムやイメージがあります。これはやはり色んな意味で有利ですよ。ビジネスをする上では。
 さらに同じ料理の中でもソウルフード的な料理が存在したり、同じ料理でも味付けは国毎に独特の味付けをしますよね。それはその国民性を重視したマーケティングがあるわけで、同じレースゲームの中でもその国で特に人気のあるライセンスを取得してマッチさせることでその有利性を地域ごとにアップさせるのと同じということですね。
 でもここで改めて言いたいのですが「これからのゲームには全てライセンスを絡めなければダメだ」という結論に結び付けるつもりはありません。ゲームには例外があるからです。
 それはご存知の通り、ゲームには「遊び方」という選択肢が無限にあるということです。映画やマンガはただひたすら目を開けて見ているしかありません。しかしゲームは違います。未だ実現されていない部分も多いですが、基本的には五感を駆使して楽しむ事が許される、数少ない娯楽性を持ったモノです。そこを掘り下げることに関してはライセンスの有無はあまり関係ありません。そこはゲーム屋さん独自の知恵を発揮すべきところですから。でもなかなか難しいです。根っこの部分である遊び方そのものを思いつき、遊びやすい、受け入れられやすい形に昇華させることは確かに大変です。ましてはそのトライは難しいだけでなく、お金も時間もかかる。更に景気もよろしくない。だからこそきっと「今の時代はライセンスを始めとしたアイデンティティーを盛り込むことでビジネスを成り立たせるべき」と判断した人が増えているのだと思います。
 でも、それは悪循環の始まりです。現在のゲームがライセンス依存型になってしまった最大の理由の一つには、ゲームジャンルが落ち着いてしまった、もしくは市場にそう感じさせてしまったこともあるわけです。でもそれは我々業界人の責任です。
 ゲームジャンルが限界なのか?そんなはずはない。確かにアイデンティティーの模索には限界があるでしょう。でも遊び方そのものの追及に限界が来た。と呼ぶにはいささか諦めが早すぎると思います。そこを断固として追及して提案することにのみゲーム業界の未来が待っています。産業の発展の様子は、現時点までは確かに映画に似ています。
 でもここから先は違うはず。時代を反映した「遊び方」の提案で、ゲームエンターテイメントの特異性を強調して、ライセンスに依存してビジネスを展開させることが、これからのゲームビジネスの本筋ではないことを今一度、市場に理解していただかなくてはいけないと感じています。そしてそのマインドから作られた、まさに新しい遊びと呼ぶにふさわしいモノに、見事にマッチしたアイデンティティーを付け加えられた商品が出れば、大ヒット間違いなしでしょうね。うーん。がんばります。ではまた。

『ゲーム批評』 2003年9月号掲載
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