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名越武芸帖
其の二十五 「新たなギャップ」

ごく普通の遊び方に変化したことによる被害
 これを書いている今、既に原稿締め切り2日前です。最近はこういうパターンが多くなって非常に焦っておりますが、限界までこのコラムは続けると決めているのでもうちょっと気張りましょうか。でもいつもネタに困るんですよね。こういう時ってもし誰かに「〜についてコメントしてよ」的に言われたら何て楽なんだろうなぁ。と思うときがあります。そろそろそういうスタイルに切り替えようかなぁ。。。
 まぁ泣き言はこれくらいにして、今回はゲームの現実というか、コンテンツの持つ悩みとユーザーとの意識の差について考えてみたいと思います。皆さんは最近やったゲームの中でエンディングが用意されているゲームってやりましたか?で、やった人は最後までやってみましたか?たぶん多くの人は見ていないという人が多いと思います。もちろん昔からゲームのエンディングとは必ず見るもの。という認識はそれほど強くありません。でもゲームって、昔よりも今の方が破格にインターフェイスが向上しているはずなのに、なぜ見ていない人が多いんでしょうね。一つの理由にゲームのプレイ時間の問題があると思います。例えば、現在ゲームを遊ぶメインの年齢層である若者達の生活スタイルは一昔前に比べるとずいぶん変化しました。まず携帯電話。これは生活の中のプライベートの時間を大きく奪ってしまいました。よってゲームコンソールで遊ぶ時間も格段に少なくなりました。そして同時に時間だけなく、お財布からお金をも奪って、ゲームを買うお金も減少しています。更に「ゲームで遊ぶ」という位置づけが、イメージ的にやや特殊な遊びだった価値観だったことに対して、現在は一般的な遊びというか、ごく普通の時間の過ごし方に変化したことによって、ゲームは面白いところもあるけど「結構面倒くさい遊び」として捉えられている気がします。もちろんメーカーもそこら辺の変化には気づいているわけで、色んな施策をするのですが、なかなかうまくいっていない。なぜでしょう?

ゲームならではの基準とそれが影響を受ける海外基準
 俺は大きく2つの理由を考えています。まず最初にゲームである以上、避けて通れない価値観から生まれる制作者のジレンマに理由を感じます。例えば漫画でも映画でも一方向エンターテイメントの場合、それを見終わった感想の基本は「面白い」「つまらない」です。でもゲームの場合はそれに加えて「難しい」「簡単」という基準が加わります。本来はもちろん面白ければその次に来るものはあまり関係ありません。でも、作り手としてはいかなるゲームに於いても「達成感」を感じさせようとすべく、必死に「手応え」をゲームの中に作り出そうとします。でもこれは基本的に難しさにつながりやすい訳で、そこのレベル合わせに悩むわけです。もちろん簡単に設定することはいくらでも出来ます。でもそこを調整するのが先程言った「ゲームである以上避けて通れない価値観」のキモである以上、闇雲に下げることはできない。でも、上げると時間が、、、というジレンマがあるということです。
 更に言えば「超簡単」と言われるのが嫌だと考えるクリエーターが多いのも以外と大きい理由かもしれませんが。まぁ何にせよゲームって基本的に「クリア」の繰り返しですからね。様々なサイズのハードルを何個も用意して、それを紡いで達成感を演出するモノです。シナリオというかゲームスケールのサイズと難度のハードルは永遠のテーマです。でも時代にマッチした、その大きさと高さの組み合わせは存在するように感じます。現在の傾向を見てみると「大きくて低い」という組み合わせが主流っぽいですね。俺はどちらかというと古い人間なので感覚的にちょっとずれている部分もあるかもしれないのですが、最近のゲームって結構簡単なゲームでも、それより更に下の下のレベルまで用意されているモノが多くて驚くことがあります。タイトルはちょっと言いづらいですが俺的にはもはや「ゲーム」ではなく「ゲーム風」にしか思えない、ペリフェラルで操作はするものの、達成感はどこ行っちゃったんだろう?と思うような代物に結構出会います。昔はそういうことは少なかった。むしろ「こんなのどうやってクリアしろっつーの?」みたいなモノが多かったぐらいですからね。でも思うにこの「大きいけど低い」という設定も、メーカーのとったゲーム難度施策の一つのトレンドだと考えます。もちろんそのキーワードは「低さ」にあるわけですが、ではなぜ同時に「大きく」ないといけないかという点に疑問が残ります。それは2つ目の理由につながるのですが、それは海外と中古のための施策だったりします。まず欧米ではゲームは日本と違い、レンタルをして購入するかどうかを決める習慣があります。その数なんとゲーム購入者の半分近く。で、こうなるとメーカーが気にするポイントはあることに集約されます。それは「レンタル期間中にそのゲームの全体像が遊び尽くされないこと」そして「中古市場に手っ取り早く出回らないで価格基準をキープできること」です。
 で、それを何とかするためにはサイズを「大きく」または難度を「高く」するしかありません。
でも「高く」は明らかに悪印象です。ゲームを進められる自信がない品物は購入しないでしょうし、購入しても即中古へということにつながるでしょう。なので残る手は「低さ」によって進行は早められてしまっても簡単にはたどり着けない「大きく」を実行するしかありません。大きくする手は2つ。ひとつはシナリオ、マップに代表されるゲームスケールを長く大きくすること。もうひとつはアイテム、イベントに代表される、同じシーンなんだけど繰り返して遊ぶ気にさせるリピート性を上げる仕掛けを「多く」するしかありません。
 なので、実際にこの事情を知らないときに、作っていてちょうど良いかもと思う時も、α版くらいで海外からコメントをもらったときに「全然短いです」なんて言われて冷や汗をかくシーンを何回も経験しています。家庭用を手がけ始めたときの最初の印象のひとつに「何で海外の連中は面白いとかつまらないというコメントの前に必ず、長い短いを言うんだろうか?」と思ってました。でもコンテンツのライフタイムにモロにつながるわけですからね。そりゃ気にするわけです。でもこういう流れから長い設定が主流になるのはいかがなモノかと思います。まず開発費が高騰します。ゲームを遊ぶ上で、事実ちょうど良いサイズになっているにもかかわらず、上記の対策ために尾鰭を付けざるをえない場合もあると思います。結果、それで開発工数もかさみますからね。でもそれは、、、ねぇ。何とも苦々しい気もしますが、でもゲームって決して安くないですからね。試してから買えることはユーザーにとって非常にメリットだし、買ってみたものの、自分に合わないモノを続けるよりは売ってしまって、もっと楽しめるモノを探すことに異論を唱えることには自分自身限界を感じます。時代の流れってやつですね。果たしてどうしたものでしょうか?

クリアされないゲームに達成感を感じられないジレンマ
 でもここで気づくのですが、「大きく低い」ことで上記の施策をすることを述べましたが、一方で最初に書いたゲームを遊ぶという価値観がそもそも「面倒くさい」という捉えられ方をしていることには対策になっていません。そして俺としてはこちらの方が問題な気がするんですよ。まずゲームであれ何であれ、遊びとしてスムーズでないものは今の時代はOUTですよ。アウト。つまり面倒でイケてないモノは受け入れない。ゲームで遊ぶという価値観が一般化しているというのに、そこは逆行している気さえします。。。で、先般、俺自身がどうしても疑問に感じたのでお金をかけてアンケートを独自にやってみました。昨今でヒットしたゲーム数タイトルを対象に、様々な項目の質問をしてみました。項目数は何十コもあるのですが、その項目の中で俺の目を釘付けにした項目がありました。それは「あなたは●●というゲームのエンディングを見ましたか?」というものです。そこには約半数のユーザーが「NO」としていたことです。一瞬固まりましたね。何のために「大きく低く」を実行しているのか?その答えに大きな疑問を感じてしまいました。我々はユーザーに満足してもらうための仕事をしています。でもそのアンケートにはそれを達成した姿を感じることは出来ませんでした。面倒くさいのがイケてない時代に、大きく低いモノを作るというギャップ。ゲームの楽しみ方、楽しませ方にまたひとつ課題が生まれた今日この頃です。では。
最近、社長室にダーツを購入しました。もちろん自腹です。
最近、社長室にダーツを購入しました。
もちろん自腹です。

『ゲーム批評』 2004年1月号掲載
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