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HOME / コラム / 第9回 となりの企画はよく柿食う企画だ
となりの企画はよく柿食う企画だ
どうもです。
前回に引き続き企画の五百蔵(いほろい)です。
堅い話で申し訳ありませんが、今しばらくお付き合いください…

<本能化、動物化する世界にどう向き合うか>

 人間は、わかりやすい行動基準、判断基準を求める生き物です。価値観が多様化して状況が混沌とすればするほど、その傾向は強くなります。
 この基準は「倫理的にどうよ」「現実的にどうよ」という相反する要素が、時代ごと固有な社会状況の中で綱引きし、その時代なりのバランスでコモンセンスとして成立していくものです。ですが「現実的な判断」はともかく「倫理的に」というところが厄介モノ。ここに神様とかイデオロギーというモノが入ってくることで戦争虐殺民俗浄化なんでもござれ、倫理のことを気にしてたら逆に倫理も糞も無くなってしまったわッ!!ということをマクロにミクロに繰り返してきたのが人類の歴史であります。
 そこで、その二千年分の反省から、キリストやら大日如来やらマルクスやらが差し込まれてきたスロットである「倫理的にどうなのよ?」という部分に関しては相当縮小傾向のバランスシートが作成されている、というのが2004年という時代なのだと思います。
 そこで、相対的に「現実的にどうなの?」という要素が人間の判断基準の中で強調されてくるわけなのですが、私が主題として突き詰めて考えてみたいと思っているのは、こういった状況についてなのです。


 「現実的な判断」とは煎じ詰めれば「損か得か?」ということです。これは、ルールに則った経済活動の枠内で扱われている限りは、イデオロギーの介在を許さない相当に公平な判断基準だと思いますが、そのルールがひとたび曖昧になるや、「他者をだしぬき、自分が生き延びること」という動物化・本能化に結びつきます。現代は、この動物化・本能化が、もっともらしい正当性を持って緩やかに進行している時代だと私は考えています(ミクロには身近に氾濫している言葉やキーワードなど、マクロには国際情勢の進展などを考えてくだされば得心いただけると思います)。
 ただし、それ自体が問題なのだとは思いません。懐古主義的な倫理基準を持ち出してこのような事態を収拾しようとすることは間違っているとすら思います。例えば携帯電話があるから最近の若者がどうとか言うのがナンセンスなのと同じで、科学技術の発展や生活の要求など多様な要素によって刻一刻と形を変えていく状況は常に不可逆なのであり、重要なのは、変化に対応し、しかも虚無主義に陥ることなく「よりよい人間らしさ」のヴィジョンを前向きに築いていけるか?ということなのです。それは社会性というものを持ってしまった人間という生き物の運命なのであって、むろんエンターティンメントといえども、そのヴィジョンの構築に参画することを免罪されるものではないはずです。

 ですから、我々の仕事が、まさにこの時代を今生きるユーザーを相手に何かを表現しなければならないのなら、この身も蓋もなく、しかし羊の皮をかむるごとく静かに動物化していく世界に対して人間はどう向かい合うのか?そういうことをダイレクトに叩く物語、世界観を提示しなければならないと思うのです。
 そしてそこでは、旧態依然とした「人間らしさとは何か?」という問いが、必ずや浮上してくるはずです。

 なぜ、他人にやさしくしなければならないのか。
 なぜ、人を傷つけてはならないのか。
 なぜ、友情を大切にしなければならないのか。
 なぜ、愛すべきものを愛さなければならないのか。

 そういう単純な主題を本質的に追求するところから出発しなければ、現代の世界に対して有効なことは何も表現できないのではないか?そう思います。 このような主題を抱え持ちながら、同時に前向きな興奮と感情を呼び起こす、面白おかしいエンターティンメント。そんなものを作り上げたいと日々考えているのが、社会の片隅にうごめくいち変態であるところの不肖小生なのであります。 …変態の癖にしかも2週にわたって偉そうなことを書いて、生まれてスミマセン。という熱い思いで今後ともひとつよろしくお願い致します。


五百蔵 容
 名前五百蔵 容(いほろい ただし) 
 趣味映画・音楽・アニメ・漫画・小説、など虚構鑑賞一般 
 代表作ハンドレッドソード』『ガンヴァルキリー 
第9回前半 第10回
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