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ROOM 754

名越武芸帖
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名越武芸帖
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名越ダイアリー
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其の十一 アナログコミュニケーション(伝えましょう・その2)
 先日、ある雑誌で「私はメールが嫌いだ。なぜなら、ある人からもらったメールが元で大喧嘩になったのだが、結局、先方からは詫びのメールが一通来ただけでそれっきり。それ以来嫌いになった。」と書いてありました。
 気持ちは解ります。多分、メールで全てを軽く解決されたことに気分を害したのでしょう。そしてその軽く解決されたことの中に、肝心な感情の憤りと不満すらも入ってしまっているあたりが、どうにも許せなかったのでしょう。”大喧嘩”と言っているぐらいですから、なおさらです。
 でも、皆さんもこんな経験ありませんか? たぶんあるでしょう。特に今はパソコンや携帯電話が連絡手段の中心になってきているので、こういう話も一層多くなってきていると思います。
 ちなみにゲームメーカーやソフトウェアビジネスを行っている会社は、一般の人たちよりずいぶん早めにネットワーク環境を社内で体験しています。
俺も最初に導入されたころは新鮮で便利だなぁと、時代の進歩を噛みしめておりました。
 そんなある日、一生懸命メールを書いている部下がいたので、そんなに熱心に誰宛に書いているのか尋ねました。すると真横に座っている人間の名前を言ったので、ビックリして「どうしてメールにするの?」と聞くと「楽だから」と言う回答が来ました。それにまたビックリして、「どこが楽なの?」と聞くと「言い忘れもないし確実だから」と言われました。
 「なるほど」と、いったん納得はしたのですが、いまいち腑に落ちない気もしていました。その時は何が気になったのかハッキリと解らなかったのですが、それからしばらくして分かりました。というか解る出来事が起きました。先程の2人が喧嘩になった時です。
 ある日、彼らが仕事の連絡をいつもと同じようにメールで行なっていたらしいのですが、どうやらそれを相手が読まなかったために仕事が止まったらしいのです。そして、それを相手にクレームしたら「ひと声かけてくれればいいじゃん」といった風に返されて、「メールを見ないおまえが悪いはずなのになんで俺が..・・・」という事になったらしいのです。
 なんとまぁ稚拙な話なのですが、起こるべくして起こったことだと思います。彼らの中ではメールは非常に便利な連絡手段であって、その便利さを活用することで仕事のスタイルも当然のように変わっていったんだと思います。そのひとつに「仕事をするうえでメールは必ずチェックする」というのもあったんでしょう。
 でもメールを見ること自体が習慣化されていくうちに、いつの間にか伝達手段の優先順位自体までひっくり返って、「メールで済ませることをメールで済ませる」というポリシーから「会話で済べきこともメールで済ませる」という変な状態に変化していったんだと思います。そしてこういうことが起こる。

 本当に変ですよね。そもそも人間の伝達手段の中では会話が一番楽ですよ。これはもう誰が何と言おうと絶対です。引けません。ただ事情(状況)によって変化する場合があるということは理解できます。
 以前ここでも書いた記憶がありますが、相手と物理的に距離が離れている、もしくは精神的に距離がある場合には、電話やメールは便利でしょう。でも、そうではない状況で、あえてそれらを使う理由はありません。というか、状況を考えずにそれらを使うことはハッキリ言って良くないことです。
 乱暴ですか? でも心の底からそう思ってます。なぜそこまで言うかというと俺は、「伝達手段を適性にしないということは無責任な行動だ」という考え方を持っているからです。伝達を最もスムーズに(時間も内容も)行うポイントはリアルタイムかどうかです。そうでしょう?
 そういう意味で言うと、現存する手段では、現実の会話>電話・チャット>メール>手紙と言う順番になるのかなぁ。俺的には手紙は心がこもってたりして好きなので、チャットよりは上なんだけどね。でもまぁ、基本はそんなところでしょう。
 そしてここがポイントです。先程、確かに適正な伝達手段を使って・・・と言いましたが、適正な伝達手段とは、相手や伝達内容のカテゴリーによって最初から決まっているわけではありません。ある程度、決まっている部分もありますが、基本的には決まっていません。では何を頼りに決めれば良いかというと、一番大切なのは会話を上とし、手紙を下として例えた場合、まずなにより最初に上の方法を目指して伝えることを試みることです。そして無理ならば、下へおとしていき、その時点で最も高い位置の伝達手段を選ぶことが基本だと思います。

 分かるでしょうか? ですから俺的には、下位の伝達手段であるメールによって単純にすべての伝達方法を代用してしまうことは、努力の欠片もない安直な手段に感じてしまう以上、無責任な選択と感じてしまうわけです。
 ちょっと厳しい言い方が過ぎたかもしれません。それをみんなが使いたがる気持ちもわかりますよ。伝えにくいものが伝えられる部分もありますからね。でも努力して欲しいなぁ。特に若い人には。

 顔を合わせるということは確かに面倒です。時間も体力もかかる。場合によってはわずかながらでもお金がかかるかもしれません。そしてそこまで苦労したにも関わらず、会話の内容によってはイライラし、憤りを感じ、まずい状況にもなることもあるでしょう。でもそういう時こそ、リアルな人間関係を感じ取るれる最大のチャンスであることも忘れないで欲しいです。
 俺は正直な話、メル友とかは理解できない。出会い系で相手を探すというゲーム感覚的なプロセスに惹かれるところは理解できても、それがきっかけで友達にはなれないと思う。単に俺の見方が狭いだけかもしれませんが、これは本音です。
 「メールでは言いたいこと言える」。ある人が言ってました。でも俺からすれば「メールでは書きたいことが書ける」が正しく、会話で無い以上、面と向かって話をする場合と同じ伝達の濃さは存在しないことを理解して欲しいです。
 ちなみに俺は最近会社では、人を使って連絡を行う際に、必ず確認することがあります。それは”いつ” ”誰が” ”誰に対して” ”何を” ”どうやって?”するのか、なるべくいちいち指示することです。最後の”どうやって?”というのが最近加わった項目です。「メールで」とか「直接本人と」とかね。そして俺的に”適正でない”と思った場合、即座に訂正させます。
 以前はそこまでは確認しませんでした。でも、冒頭のような事が起きがちな現在では、大切な確認事項だったりします。疲れるなぁ。
 でもネットワークを中心にした情報文化の恩恵は計り知れないものがありますし、個人的にも異論ありません。大賛成です。だから積極的に使っていくことは大切でしょう。でも今更言うことでもありませんが、要は使い方です。
ネットワークとは、つなぐ&近づける道具です。でも同時に使い方ひとつでは、つなぐ&相手との距離を意図的に遠ざける、遠回しの手段にも使えてしまうわけです。
 あなたは、ネットワークを不適切に使って、人間関係を遠ざけることで無意識に楽をしていませんか? そして伝えているつもりになっていませんか? 問題を先送りにしているだけかも。もう一度考えてみて下さいね。ではまた。


(『ゲーム批評』 2001年9月号掲載)
 
マイクロマガジン社 http://www.microgroup.co.jp/
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