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名越武芸帖
『ゲーム批評』 マイクロデザイン社にて連載中(マイクロデザイン社のHPへ)

  
其の十 ゲーム機の未来 『ゲーム批評』2001年 最新号掲載
其の九 今の気持ちとこれからの気持ち 『ゲーム批評』2001年 5月号掲載
其の八 ネットゲーム普及のために 『ゲーム批評』2001年 3月号掲載
其の七 伝えましょう 『ゲーム批評』2001年 1月号掲載
其の六 「良い」という感性について 『ゲーム批評』2000年11月号掲載
其の五 インタラクションとキャラクター 『ゲーム批評』2000年 9月号掲載
其の四 これからのゲーム 『ゲーム批評』2000年 7月号掲載
其の三 企画より大切なもの 『ゲーム批評』2000年 5月号掲載
其の二 新しさの意味 『ゲーム批評』2000年 3月号掲載
其の一 ゲーム成立の条件 『ゲーム批評』2000年 1月号掲載
 

其の六 「良い」という感性について 『ゲーム批評』11月号掲載
 突然ですが、やっぱりドラクエは良いですね。細かい所を言えば言いたい事もありますが、良いです。実に良い。ちなみに俺はお伽話を読んでいる感覚が好きです。
 それはひとえに所謂「ドラクエ的」とでも申しましょうか、あの台詞まわしですね。
 人によっては、あの拙い感じをそのまま稚拙さとして受け止める人もいるようですが、俺はそうは思いません。優しさと安息感を感じます。
 ところで今回は冒頭からしきりに「良い」という言葉を連発していますが、今回はこの「良い」という単語がキーワードです。

 皆さんも、ゲームや音楽、映画等で「良い」と感じる時があると思います。どんな時に感じますか?
 簡単に言うと「気持ちが伝わった時」とか「単純に感じがイイ」といったところでしょうか。俺もゲーム製作の現場でずっと仕事をしていて、どうすれば「良い」モノが作れるのか?がいつもテーマになっています。
 そしてこの答えを導くために色んな手段を模索します。
 数値を変え、人を変え、環境を変え、色んな変更で対策を施します。でもどんなに沢山の変更を加えたからといって絶対的に「良い」という評価を得られる確信にまでは至りません。最終審判はユーザー、というか自分達以外の他人の感覚に委ねられるからです。だから怖い。そして悩みます。毎日頭をかきむしって悩みます。
 そしてヒーヒー言いながら自分なりの結論をヒネり出して人に見せた時「つまんないねぇ」とか「良くないねぇ」なんて言われた日にはガックリと落ち込みます。
 まぁ大抵の場合そうなんですけどね。
 でも昔はそこでイチイチ落ち込んでいたんですが、最近は変えました。

 「良くない」と言われた後、俺はまず第1にこう考えます。
1)「本当に伝わったのか?」
 これはつまり自分(自分達)の考える良さを他人と話し合う前に、その良さの核となるイメージやテーマを共有しあえたのか?ということです。
 通らなかったプレゼンのケースを見てみると、内容が良いにも関わらず、この”伝える”という作業が不完全のままで終わってしまっているケースが少なくありません。もったいない。そして伝わった上で、マーケットやコストの問題で通らないのであれば仕方ありません。でもその場合の台詞は「良くない」ではなく「興味に欠ける」とか「値段が高い」になるはずです。そして次にこう考えます。
2)「その良さとは適切なモノだったのか?」
これはとっても重要です。良さという基準は言うまでもなく
千差万別で、人それぞれです。でも我々はそれで全てを片づける訳には行きませんから、当然アイデンティティーの高い範囲を狙って近づけていく訳です。が、自信の余りエゴが前面に出てしまったり、捉え方がオーバーになって勘違いを起こしてしまう事もあります。そうなってしまうとその「良さ」とは適切ではなくなります。平たく言えば、狙いはわかるけど「解りづらい」とか「やりすぎ」になってしまうと言う事です。
 「良くない」と言われてしまう理由の多くは大抵この2つのケースのどちらかのようです。

 ちなみに俺は常々思うのですが「良い」というのはきっと「ちょうど良い状態」のことだと考えています。
 「ちょうど良い」と言ってしまうと、ともすれば「ホドホド感」の様なエッジの効いてない、ある意味そつが無いだけのモノに聞こえがちかもしてませんが、そんなことはありません。
 ゲームにしても、映画、音楽にしても、作品の持つ魅力やテーマがハッキリしているのであれば、必要な要素(そのテーマを他人に限りなく正確に伝えるために不可欠な要素や概念)と不必要な要素は、おのずと線引きされていき、作品にとってミートさせるべき範囲が決まっていくはずです。いや、決めないと作れないはずですから。
 そして必要な要素の積み重ねを制作プロセスで丁寧に繰り返すことで、他人に伝える事のできるしっかりした作品につながっていく訳です。ですから全ては、その作品に必要な「ちょうど良さ」を求め、基準化する作業を大切にすることから始まります。

 とは言ってもなかなか出来ないんですよね。知ってます。解ります。不安ですから。
 でも作品のテーマをグローバルに理解してもらうプロデュース、ディレクションを目指すのであれば、これこそが第一歩目の仕事です。
 なので俺にとって「ちょうど良い」を求めることは、制作を行う上で最も重要なキーワードであり、大切な哲学なのです。あくまで考え方の一例ですけどね。

 以前、コナミの小島さんにお会いした時にも同じ事を思いました。その時小島さんは『MGS2』の開発をしている自分に対して「まずは俺が傭兵の気持ちになりきるんだ」と言われていたのを覚えています。
 この言葉を今回の俺の解釈に当てはめるならば、たぶん小島さんはまず最初に作品の核と呼べる「『MGS2』に対するちょうど良い」基準を自らにしみ込ませ、それを基に必要か?不必要か?を線引きしてスタッフに浸透させることを目的にしているんだろう感じました。

 そうだ、「良い」を考える上でもう一つ忘れてはいけないのが「正しい」との兼ね合いです。「正しい」という言葉に疑問や不信を唱える人は少ないと思うのですが、作り手からすれば、この言葉が救いになったり、ブレーキになったりと、扱いが微妙な言葉です。
 「正しい」は確かに必要ですし、これがないと多数の感性を効率良く評価する事が出来ません。でもそれだけに「正しい」は、もともと「平均」を求める為に作られた基準です。ちょっと乱暴な言い方かも知れませんが、俺にとって「正しい」は人間味のない、魅力まではつながりづらい響きに感じます。
 皆が「良い」と感じる事を「正しさ」によって平均値から求めていく手順、つまりシミュレートから作業がスタートする事自体に異論はありませんが、そこで「正しい」からO.K.、で安易に結論にしてしまうのはオカシイです。最終的には「良く」させないと。

 それに「良い」は、人間の本能から発せられるホメ台詞としても優秀です。
 自分の子供に「いい子だね」と言っても「正しい子だね」とはあまり言いませんし、SEXでも「いいわぁ」と言う人はいても「正しいわぁ」という人はいませんしね。

 そして最後に「良い」は「大きい」とは違います。「多い」とも「広い」とも「長い」とも違います。でも確かにこれらの言葉に価値はあります。「より高く、速く...。」とか。でもそれだけでは、人は感動しません。

 改めて勘違いしないで欲しいのですが、様々な意味でのボリュームを求めることが駄目だとは言ってません。ただ、作品の中で必要とされていないインフレを求め、暴走して、それを加え続けることだけで「良い」がどんどん手に入る....と勘違いしないで欲しい。と言う事です。
 計算された演出等でオーバーな要素が必要とされる場合もありますが、それも元をたどれば「良い」基準がしっかりと存在した上で、必然に求められた要素のはずですから。

 では最後にクドイようですがもう一度。「良い」とは、「大きい」でも「正しい」でもなく「ちょうど良い」の事です。
ホントに「良い」って奥が深いですよね。



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