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名越武芸帖
『ゲーム批評』 マイクロデザイン社にて連載中(マイクロデザイン社のHPへ)

  
其の十 ゲーム機の未来 『ゲーム批評』2001年 最新号掲載
其の九 今の気持ちとこれからの気持ち 『ゲーム批評』2001年 5月号掲載
其の八 ネットゲーム普及のために 『ゲーム批評』2001年 3月号掲載
其の七 伝えましょう 『ゲーム批評』2001年 1月号掲載
其の六 「良い」という感性について 『ゲーム批評』2000年11月号掲載
其の五 インタラクションとキャラクター 『ゲーム批評』2000年 9月号掲載
其の四 これからのゲーム 『ゲーム批評』2000年 7月号掲載
其の三 企画より大切なもの 『ゲーム批評』2000年 5月号掲載
其の二 新しさの意味 『ゲーム批評』2000年 3月号掲載
其の一 ゲーム成立の条件 『ゲーム批評』2000年 1月号掲載
 

其の八 ネットゲーム普及のために 『ゲーム批評』2001年 3月号掲載
 

 こんにちは。最近は「良い」とか「伝える」とか精神論的な話題が続いたので今回はゲーム屋さんのテーマらしくやりたいと思います。
 最近ゲームしてますか?「コレもアレも...」と言う人は少ないんじゃないでしょうか?
 多分「DQ、FF、ゼルダは一通り、他はボチボチ」とか「買ったんだけど、最後までやってないのばっかり...」とかいった人が多いと思います。昨年は特に不作といわれた業界でしたが、ユーザーにこういう声が増えるのは寂しい限りです。でも、かく言う俺自身もそんな感じですけどね。何故でしょう?いわゆる中程度ヒット未満の商品でも実際にやってみると面白いモノも多いのに、どうしても夢中になれない...

 という訳で、今回はここら辺を分析しつつ行く末を考えてみます。
 ではまず今売れているモノのおさらいから。
 まずは定番。『ゼルダ』や『DQ』等のメガヒットお約束モノのタイトルです。これは強いです。もはや「やっとかなきゃマズイ」的なイメージさえユーザーに与えてますから。これらのゲームを買って遊ぶということ自体、いや買うこと自体が、行事に近くなっています。

 次に、既に特定の趣味に傾倒されるマニア層に向けて作られているモノ。
 例えば『グランツーリズモ(以下GT)』とか『ガンダムシリーズ』とか。ちなみに『GT』は一般向けでマニア向けではないのでは?という考え方もあるでしょうが、車という日常性の高いネタを用いている部分が一般向けなだけで、コンテンツのノリ自体はかなりキワドく、車マニア向けです。
 そして『ガンダム』。これは「マニア向け」という評価は難しいかもしれませんが、 マニアから一般へ認知の脱皮を果たした印象が強くて「定番」に近い気がします。でも純粋にゲームから生まれた認知ではなく「ガンダム」を使うことで、すでに存在している「ガンダムマニア」を取り込んでいるだけなので俺的にはやっぱり「マニア向け」に入れておきます。
 さらにマニアといえば、遊び方にもありますよね。「対戦格闘」とか「ネットゲーム」「カードゲーム」とか。

 そして最後に目新しいモノ。
『シーマン』とか『ディアブロ』『QUAKE』とか。そんな感じでしょうかね。

 さて、ここまで読んでで「あれ?」と思いませんか?
何が「あれ?」かと言うと「"ヒットゲーム"結構あるじゃない!」って事です。ここに書いただけでも結構あるし、勿論これら以外にもあります。だから決して不作ではありません。ただし夢中になれる新しさがない。もしくは少ない。あるとすれば最後の"目新しいモノ"くらいです。
 でも今の状況は本当にワクワク感が足りなすぎて、遊びとしてガチガチな感じがさえします。
 確かに定番やマニア向け商品で、大きな変更を加える事が難しいのは理解できます。あえて大きな変更をしない事で安心感も保てますし、それも戦略ですし商売ですから。
 でもそれが「ゲームってこんなモノ?」的な印象に少なからずつながっているのもまた事実です。難しいですね。
 本気でこの状況を変える気なら、結局、先述の"夢中になれる新しさ"を求めて挑戦するしかありません。
 その方法として、ハードの進歩による見た目の変化を得るのもひとつです。でもハードの変化は一瞬のトピックであって、白黒テレビがカラーになったように、あっという間に常識化してしまう事ですから長い間頼りにはできません。それに前向きな考えでもありません。
 ではどうしましょう?
 そこで最近考えている事があります。以前俺はこの連載の中で「ネットワークゲーム」について触れた事があります。そして「ネットワークはこれからのゲームに新しい興奮を与えるファクターとして、十分に威力を発揮するものだ。でもそれには「サービス」も同時に加えて考えていかなければならない」と書きました。
 では俺にとって「サービス」のカギはドコにあるのかキチンと説明しましょう。それはネットワークゲームに対する運営業務、特に課金に対する考え方を変えることなのです。

 どう変えるかって?
 これは俺の持論なのですが、世の中で課金に対する条件は幾つかに分類できると思います。

  1. ほぼ無条件で課金(課税ではありません)の許されるモノ。
    「毎日使うモノ」=公共料金、電話、新聞等です。
  2. 無条件で課金できるはずだが、人道的にしてはいけないモノ。
    「無いと生きていけないもの」=食べ物等です。
  3. サービス次第では課金の成り立つ可能性もあるモノ。
    「毎日使うモノ、もしくは無いと生きていけないモノだけど、個人差の生じるモノ」=お酒・たばこ等です。
  ちなみに1の中にインターネットが入る人もいるでしょうし、2の中にお酒が入る人もいると思います。3の例としては、煙草に課金はありませんが、もし日本たばこ産業が年会費1万円の会員課金で250円の煙草が200円で買えるというサービスをしたら俺は間違いなく入ります。俺は1日2箱吸うから1日100円×100日で元が取れます。ヘビースモーカーにはミートするサービスです。でも吸わない人には全く関係がない。
 そしてゲームは...残念ながら1や2には含まれません。

 だから当たり前のように課金をするのは苦しい。ただでさえ接続というプロセスの負担を負わせているのに、お金まで頂くと言うのは俺的にはちょっと...。
 なので課金をするなら3を目指すしかない訳です。つまり納得のいく「サービス」を加えて課金運営をする。でも俺も現段階の結論は「課金をしない」というのがネットゲームユーザーに対する最高のサービスのような気がしてならないんですよ。
 課金はネットゲームの面白さをもっと知ってもらってから考えればいい。そして今は最低限のお金だけをソフトの定価に乗っけちゃえばいい。だめかなぁ。

 常日頃から思っているんですが、俺は「時代の進歩と共に歩み、それに見合った人間の知恵の進
化をゲームで証明したい。時代を語るバロメータの役割をゲームで果たしたい」そう考えています。もっと簡単に言えば、時代の産んだ技術や流行を"ゲームという遊び"で世の中に表現したい、という事です。
 21世紀は「ネットワークゲーム」の面白さが伝わるところから時代の幕開けが始まった。というシナリオになれば良かったのですが、実現していません。実現の為にはどうしても「サービス」への意識改革を急がねば。この問題を抜きにしてネットゲームの普及はありえません。
 でないと逆に「20世紀の終わりにはゲームをネットでつないでいた変な時代があったんだって...」なんて後々言われかねませんし。がんばります。でも「ゲームを何でもカンでもつなぐ」のも反対です。その話はまたいずれ。ではまた。



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